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大阪地方裁判所 昭和44年(ワ)1961号 判決

亡岩田コスエ訴訟承継人

原告

田畑孝

外二名

右三名訴訟代理人

大槻龍馬

外一名

被告

小西池楳太郎

右訴訟代理人

林藤之輔

外四名

主文

一、被告は原告上本秀治に対し、金二九六万八、三一〇円、原告田畑孝、同城野剛年に対し、各金一四八万四、一五五円および右各金員に対する昭和四三年三月一二日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求はいずれも棄却する。

三、訴訟費用は被告の負担とする。

四、本判決は第一項に限り、原告上村秀治が金五〇万円、原告田畑孝、同城野剛年が各金二五万円の担保をたてたときは仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

1  被告は原告上本秀治に対し、金二九八万六三一〇円、同田畑孝、同城野剛年に対し、各金一四九万三一五五円および右各金員に対する昭和四三年三月一二日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言。

二、被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二、当事者の主張

一、請求原因

(一)  被告は肩書住所地において、産婦人科医院を開業している医師であり、昭和四三年三月一日上本美智代(当時満二三才、以下単に美智代という)から妊婦としての診察の依頼を受け、これを承諾して以後、同女を診察してきたものである。

(二)  本件診療契約の締結

同年同月一一日午前一〇時頃、美智代は、その夫である原告上本秀治(以下単に原告秀治という)と共に被告医院に診察のため通院し、筋肉注射を受けた後、右医院を辞し、同医院から約一〇〇mの場所に駐車中の自家用車に向う途中俄かに激しい下腹痛を起した。このため、同日午前一〇時二〇分頃右自動車で再度被告医院に引き返し、同女は右疾病の診療を依頼し、被告はこれを承諾した(以下本件診療契約という)。

(三)  美智代の病状および被告の診療の経過

1 美智代は下腹部の激痛で一人では立つておれない状態であつたため、原告秀治は自動車を被告医院玄関へ横づけにし、同女を抱えるようにして診察室へ連れ込み、同医院の看護婦に手伝つてもらい、ベツトに横臥させたが、暫くして同女は悪心を訴えて嘔吐した。

2 被告は、同女を簡単に診察し、車酔いか、食中毒である旨診断した。しかし、同女は前記の如く自家用車まで行く途中で腹痛を起したもので車酔いであるはずはないし、又食中毒というにしては食後短時間すぎるうえに、原告秀治が夫婦で同じ朝食をとつているのに一方のみ中毒になるのはおかしいと被告に対し訴えていたにも拘らず被告はその場はそれ以上の診察をせず、心配する原告秀治に「午後三時頃まで寝かしておくよう」言つたほどであり、他の外来患者を診察した後は、応接室で来客と歓談していて、同日午後零時半頃まで、同女をベツトに横臥させたままで特段の手当も施さなかつた。

3 右時刻頃、美智代は顔の血の気を失い、死人色して苦悶するので、付添つていた原告秀治がたまりかねて、被告に連絡したが、既に同女は血圧測定不能のシヨツク状態に至つていた。

4 被告は右時点に至つて、急に慌て出し、近所の内科医の応援を求めたが断られるや救急車の手配をなし、同女を救急車で池田市城南町三丁目七〇番地市立池田病院に転院させた。

(四)  美智代の死亡および死因

美智代は同日午後三時三〇分頃、右池田病院において、子宮外妊娠に基づく腹腔内出血による急性失血症により死亡した。

(五)  被告の債務不履行責任

1 美智代は前記の如く下腹痛を訴えて被告にその診療を依頼し被告はこれを承諾したものであるところ、妊婦にとつて子宮外妊娠は比較的よく起る疾患であり、子宮外妊娠中絶による血管破裂に伴い出血が始まると血液が腹腔内に入つて腹膜を刺戟し、激しい腹痛、悪心症状を起すのが通常であり、妊娠初期の妊婦が理由不明の腹痛、悪心を訴えるときは先ず子宮外妊娠中絶を疑うのが産婦人科医の常識であるから、産婦人科医であり同年三月一日ごろから同女を妊婦として診察処置してきた被告としては、当然子宮外妊娠の中絶をも予期してその症状を仔細に聴取し、十分にその状態を観察し、或はダグラス氏窩穿刺試験、血圧測定等の検査をするなどしてできるだけ早期に的確な診断をなし適切な処置を構ずべきであり、そうすることが本件診療契約に基づく被告の債務である。

2 しかるに、被告は、前記の如く同女を簡単に診察しただけで車酔いか食中毒であると診断し、何ら特段の手当も施さないで同女を同日午後零時半頃までベッドに横臥させたまま放置していたのであるから、被告が前記債務を完全に履行しないことは明らかである。

3 しかるところ、被告は、開業医であるが、産婦人科を専門とし、これまでに子宮外妊娠の患者を多数取扱い、その手術例も何百例という医師であるから、美智代に対し、前記債務の本旨に従い、子宮外妊娠を疑つて直ちに子宮外妊娠の一般的判定方法であるダグラス氏窩穿刺検査を行い、その他血圧測定、脈搏測定等の措置を速かに構じておれば容易に子宮外妊娠中絶の診断を下すことができたはずで、その結果迅速に手術等の処置をとつてさえおれば、頑健な同女は死亡せずに済んだものである。

4 しかるに、被告は再び来院した美智代が前記症状を呈して苦悶し、原告秀治がただならぬ様子に心配しているにも拘わらず、十分な問診ならびに視診等を行わず、前述のとおり同女を放置した結果、手術可能な時点で子宮外妊娠中絶を発見できず、右手術の時期を失したものであるから、美智代の死亡は被告の診療契約上の債務不履行に基づくものである。

5 したがつて、被告は美智代の死亡により生じた原告らの後記各損害を賠償すべき義務がある。

(六)  損害

(1) 美智代の逸失利益

美智代は死亡当時満二三才の頑健な主婦であり、同女の就労可能年数は四〇年で、その間月額金二万四五〇〇円(昭和四一年賃金構造基本統計調査報告による年令別女子労働者平均収入額)の収入をあげ得たはずであり、うち生活費を金一万二二五〇円とすると、同女の純益は月額金一万二二五〇円(年間金一四万七〇〇〇円)である。よつて、ホフマン式計算法により年五分の中間利息を控除して右四〇年間の純利益の現価を計算すると同女の得べかりし利益は金三一八万一五二一円となる。同女は死亡によりこれを喪失したので、被告に対して右同額の損害賠償請求権を取得した。

2 美智代の損害賠償請求権の相続

美智代の死亡により、原告秀治は配偶者として、岩田コスエは母としてそれぞれ右損害額の二分の一である金一五九万〇七六〇円の損害賠償請求権を相続した。

3 葬儀費用金二五万五一〇〇円。

弁護士費用金五〇万円(着手金一〇万円、謝金四〇万円)。

原告秀治、岩田コスエは右各金員の二分の一づつを支出し(但し、弁護士費用のうちの謝金については債務を負担)、同額の損害を受けた。

4 原告秀治らの慰謝料

原告秀治は昭和四二年五月一〇日美智代と結婚し、同年一二月同女が妊娠したので長子の出生を心待ちしていたのに突然同女を失い、また岩田コスエは、同年春に長女を失い、続いて一年足らずでまた次女である美智代を失つてしまつたもので、右両名は甚しい精神的苦痛を受けた。よつてその慰謝料として、右両名につき各金一〇〇万円が相当である。

5 岩田コスエの損害賠償請求権の相続

岩田コスエは被告に対し前記2ないし4の合計金二九八万六三一〇円の損害賠償請求権を取得したところ、同女は昭和四五年一一月二四日死亡したので、原告田畑孝は子として、同城野剛年は直系卑属(同女の子城野英子が昭和四二年四月一四日死亡しその代襲相続)としてそれぞれ右損害額の二分の一である金一四九万三一五五円の損害賠償請求権を相続した。

(七)  結論

よつて、被告に対し、原告秀治は前項2ないし4の損害金合計金二九八万六三一〇円、同田畑孝、同城野剛年は各金一四九万三一五五円および右各金員に対する債務不履行の翌日である昭和四三年三月一二日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

(一)  請求原因(一)の事実は認める。

(二)  同(二)の事実のうち、美智代が原告主張の日時に被告医院に来院し、筋肉注射を受けたこと、右医院を辞してから暫くして再度来院し診察を求め、被告がこれを承諾したことは認め(但し、腹痛の診療を依頼されたものではない)、その余の事実は不知。

(三)  同(三)1の事実のうち、美智代を診察室内のベッドに横臥させていたこと、同女が暫くして嘔吐したことは認め、その余の事実は不知。同2の事実のうち、同女を同日午後零時半頃まで被告医院診察室内のベッドに横臥させていたことは認め、その余の事実は否認。同3の事実のうち(時間的経過は不明であるが)同女が血圧測定不能のシヨツク状態に至つたことは認め、その余の事実は否認。

同4の事実のうち、被告が救急車の手配をして同女を救急車で原告ら主張の池田病院に転院させたことは認め、その余の事実は否認。

(四)  同(四)の事実のうち同女が子宮外妊娠であつたことおよび池田病院で死亡したことは認めるが、その余の事実は不知。

(五)  同(五)の事実のうち、被告が産婦人科を専門とする一開業医であることは認め、その余は争う。

(六)  同(六)の事実のうち、同女が死亡当時二三才の主婦であつたこと、同女と原告秀治、岩田コスエ間および岩田コスエと原告田畑孝、同城野剛年間の各身分関係ならびに相続関係は認め、その余は争う。

三  被告の抗弁

1  美智代は被告医院に再度来院した時には、腹痛は全く訴えておらず、気分不良を訴えていたのみであつた。そこで、ベツドに臥床させ休息させたが、暫しくて嘔吐したので、心窩部を氷のうで冷やしつつ暫時様子をみたところ、その後は落着いて雑談を交すことができる状態であつたので、被告は看護婦に同女の容態を十分注意させ、同女をベットに横臥させて安静にさせていたのである。右症状からみると、右時点においては、さしあたり患者の安静を保持してその症状経過を細心に観察することが医師としてなすべきことであり、被告は正しくこの処置をとつたのである。

2  一般的に生体としての患者がある疾病に対して示す反応は複雑多様であるうえに、子宮外妊娠を初期の段階で判断することは特に容易でないところ、同女は被告に対し、気分不良を訴えていただけであるから、右症状より即座に右疾病を疑うことを一般の臨床医に求めることは過当な要求である。仮に原告ら主張のとおり、同女が腹痛を訴えていたとしても子宮外妊娠中絶に伴う急性の腹痛は疼痛が持続するのが特徴であるとされているのであるから、同女の場合の如き一過性の腹痛をもつて直ちに右中絶の徴候であると診断せよというのもまた無理な要求である。被告としては、同女がシヨツク症状に陥つた段階で初めて子宮外妊娠の中絶であることを疑い得たもので、被告は、看護婦から脈搏不良との報告をうけ直ちに血圧を測定したところ血圧七六で脈搏やや不良であり、次第に状態悪化して脈搏不良、血圧急激に下降、測定不能になつたので、子宮外妊娠中絶と判断し、右時点で直ちに救急車を手配して池田病院へ同女を急送している。したがつて、被告としては一開業医としての知識・技能を尽して誠実に義務を履行したもので何ら注意義務違反はないから、美智代の死亡につき被告には責に帰すべき事由は存在しない。

四  抗弁に対する原告らの答弁

抗弁事実を争う。

第三  証拠関係〈略〉

理由

一本件診療契約の成立について

(一)  請求原因(一)の事実および昭和四三年三月一一日午前一〇時頃、美智代が被告医院に来院し、筋肉注射を受けた後、いつたん右医院を辞したが、まもなく両度来院し、被告に診療を依頼し、被告がこれを承諾した事実は当事者間に争いがない。

(二)  そこで、右診療の目的ならびにその内容につき判断する。

〈証拠〉を総合すると、美智代は夫である原告秀治に付添われて、被告医院を辞し、右医院近くの商店街入口附近の公衆便所前に駐車中の自家用車に戻る途中、右自動車の手前一〇メートル位の地点まできた時に、突然激しい下腹痛に襲われ、便所へいくといつて、一旦、右公衆便所へ入つたが、直ぐに、時間的にみて用を足していないと思われる程短時間の間に引返えしてきて右自動車の後側にもたれかかつたこと、そこで、原告秀治は、同女を右車内のシートに寝かせ着物の帯を緩めたりしたが、同女の苦しみようが尋常でなかつたため、車輛の通行が禁じられている右商店街の中を、あえて、右自家用車で右医院に引き返し、同女は看護婦と原告秀治に抱えられるようにして診察室へ入つたこと、この時右原告は看護婦に先ほどの注射のせいか美智代が腹痛を訴えているので再度診察して欲しいと話したこと、被告も右看護婦を通じてか、美智代からの問診の結果か、いづれかの方法で同女の下腹痛を覚知したことが認められる。被告は、美智代は単に気分不良を訴えていたのみで腹痛は訴えていなかつたと主張し、被告本人は当公判廷においては一貫して右に添う供述をしている。しかし、美智代は、前示の如く、一旦、被告医院を辞した後、前記自家用車にたどりつく前に下腹痛、しかも激しい疼痛に襲われたため、すぐに車で被告医院へ引き返したものであり、被告に再診を依頼するに当つて、その引き返してきた中心的な疾患を告げず、単に気分不良のみを訴えたとは考えられない。

すなわち、これをやや詳述すると、被告自身、美智代が死亡した前記三月一一日当日、同女の母が、被告が同女を殺したといつて騒でいたので難いことになると思い、その日の晩に同日のことを整理して書いたカルテであると説明する前掲乙第三号証の一には「午前一〇時筋注を実施せるに二三分頃下腹痛を訴え気分不良臥床せしむ」と明記されており、かつ、前掲〈証拠〉によれば、同年一〇年一九日におこなわれた当裁判所の証拠保全手続における証拠調においては、被告自身、上記カルテの右記載について、筋肉注射をして二三分程してから下腹部の痛みを訴えたという意味である旨説明していることが明らかであり、かかる事実に照らすと、美智代は下腹痛を訴えて被告に診療を依頼し、被告も看護婦を通じてか、美智代からの問診の結果かいずれかの方法で同女の下腹痛を覚知していたものと認めるべきであり、これに反する上記被告の供述は到底信用できない。

被告は、本件における本人尋問の際、上記乙三号証の一の下腹痛の記載につき、右は、被告の学生時代から順序を整える為の癖であり手紙の書き出しのようなもので、誤記である旨弁解するが、いやしくも医師として医療に従事する者が、上記の如く後日紛争になることも考慮したうえで作成したというカルテに単に順序を整える目的の為に患者が訴えもしなかつた症状を記載するということ自体、極めて理解し難いことであるばかりでなく、前示証拠保全手続における証拠調での説明と対比しても、右弁解は到底採り得ないものであり、他に上記認定を左右するに足る証拠はない。

以上のように、美智代は、被告医院に引き返した当時、下腹痛と気分不良等の症状を訴えて被告にその診療を依頼し、被告はこれを承諾して同女の診療にあたつたものであり、同女と被告との間には、その治療を目的とした診療契約が成立し、右契約は被告において美智代の下腹痛およびこれに伴つて派生する病状を医師としての最善を尽して医学的に解明し、それに応じた適切な治療行為を行うことを内容とする準委任契約であつたと解すべきである。

二被告医院における美智代の症状および被告の診療経過

(一)  美智代は被告医院に引き返して後、午後零時半過ぎまで、同医院の診察室内のベッドに横臥していたこと、同女が被告医院に引き返して後暫くしてベッドの上で食物を吐いたこと、同医院で同女が血圧測定不能の急性貧血症状に至り、被告が手配した救急車で池田市城南町三丁目七〇番地市立池田病院に転院したことは当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉ならびに右(一)の事実を総合すると以下の事実が認められる。

(1)  美智代は同日午前一〇時二、三〇分頃被告医院に引き返してきて診察室に入つたが、その際、著しい貧血状態ではないものの、足元がフラフラして力が抜けた感じであつた。

(2)  同女はすぐ診察室に入り、同室内のベッドに横になつたが、間もなく、胃がむかつくといつて嘔吐し冷汗をかいた。右同女の様子や嘔吐症状からみて車酔いか食中毒でないかと疑つた被告は、看護婦に指示して同女の胃部を氷のうで冷やさせ、被告自身は主に他の外来患者の診察にあたつていた。

その後、右外来患者の診察を終えた被告は、待機していた美智代、の夫原告秀治を診察室に呼び入れ、上記の如く車酔いや食中毒を疑つていたことから同人に朝食の時刻や内容をきいた後、同女に食中毒治療のための注射をしようとしたが、同女が嫌がつたため、これを中止した。この時同席していた原告秀治は、被告に夫婦が同じ朝食を食べたのに美智代のみ中毒になるのはおかしいのではないかと指摘したが、被告は、同女が吐いたから良くなると言つて、それ以上の診察をせず、看護婦に同女の容態がいつでも判るところにいるようにと指示したのみで、カルテ等の整理をしたり、応接室で来客の接待をしていた。

(3)  その間、原告秀治は、美智代に付添い、同女の様子をみていたが、腹痛は訴えなくなつたもののその病状は全く良くならず、むしろ、顔から血の気が失われ、目はドロンとしてきて着ているものがかなり濡れるほどの発汗があつたので、看護婦にタオルを借りて拭いてやつていた。

(4)  その後、美智代の容態を心配した原告秀治が、姉の大崎チヨミを呼びに行き、同女と共に被告医院へ引き返したところ、美智代は青白い顔をしており、眠いと訴えたため、右原告は被告に同女が眠いと言つているが大丈夫かと尋ねたところ、被告は午後三時までは患者は来ないから、そのまま寝かしておくよう指示した。しかし、当時美智代は原告秀治が手伝つて寝返りをうつただけでも息苦しさを訴えるという状態であつた。

(5)  午後零時過ぎになつた頃、被告は看護婦より美智代の脈搏が弱くなつた旨の連絡を受け、同女の血圧を測定したところ、七六で測定可能の最低線にあつたので口薬(カフエイン)を一CC与え、強心剤を注射する等の手当をし、その後、更に血圧を測定したところ、測定不能の状態になつており、脈搏も不整で同女は急性貧血症状であつた。被告は、この時はじめて、同女が子宮外妊娠であつて、授精卵の着床部位付近の血管が破裂したものと確信し、強心剤五CCを注射した。しかし万一右疾病でない場合のことも考え、近所の内科医の応援を求めたが断われたため、午後零時四五分救急車の手配をした。救急車は同四七分被告医院に到着し、午後一時美智代を前記市立池田病院に収容した。

三美智代の死亡

美智代が子宮外妊娠であつたことについて当事者間に争いがないことと成立につき争いのない甲第三号証、同第四号証の一、二によれば、同女は昭和四三年三月一一日午後三時三〇分、前記市立池田病院において子宮外妊娠中絶に基づく腹腔内出血による急性失血症により死亡したものと認めるのが相当である。

四被告の債務不履行について

(一) 前記認定によれば、被告は引き返してきた美智代の病状を単に車酔いか食中毒であると診断し、右疾病の治療のため胃部を氷のうで冷やし、安静を保つため診察室に横臥させていただけであつて、さきに認定した同女の症状について楽観していたものと解される。

ところで、患者の診療を引受けた医師としては、元来、患者の病歴、症状、診察結果等に基づいて当面の病的現象を正しく把握するように努めるべきであり、かつ、そうして把握せられた病的現象が当然に単一、特定の疾病に結びつくものではなく、これと結びつき得る疾病が複雑多数である場合には、できるだけ当該病的現象と結びつく疾病を特定するよう努力し、その結果得られた判断に対応した治療を施すことが、診療契約の性質上医師に対して課せられる債務であると解され、本件診療契約についてもこれと別異に解すべき理由は認められない。

しかるところ、被告は美智代が被告医院へ引き返してきた時は力のぬけたような様子をしており、ベッドに横たわつた後、間もなく嘔吐し冷汗をかいているのを現認しているのであり、また、そのころまでに、同女が前記の如き激しい下腹痛に襲われて引き返したものであることを覚知していたと認むべきことは前示のとおりである。

そうすると、被告としては、少くとも上記症状を認知したうえで診断を進めたものというべきであるが、上記症状が当然に特定の疾病と結びつくものと認むべき資料はなく、上記症状をみた被告が、一応、車酔いなしは食中毒を疑つたにしても、このこと自体を当然に誤れるものとして非難することはできない(但し、その当否につき批判の余地のあることは後記のとおり)。

しかしながら、妊婦が突然の下腹痛、吐き気、冷汗等の症状を呈した場合に、一応、子宮外妊娠の中絶が疑われることは、被告本人の供述からも明らかであり、被告自身美智代を妊婦として診察していたことは争いがないのであるから、美智代の上記症状を認知していたと認められる被告としては、一応、子宮外妊娠の中絶であり得ることを疑い得たはずであり、かかることも考慮してその後の診断、治療を進めるべきであつた。被告は、子外妊娠中絶に伴う急性の腹痛は疼痛が持続するのが特徴とされているから同女の場合の如き一過性の腹痛があつたからといつて直ちに中絶の徴候であると診断せよというのは無理である旨主張するが、被告本人の供述によつても、子宮外妊娠破裂に伴う激烈な痛みは破れてしまうとおさまり永くは続かないというのであり、更に、子宮外妊娠中絶に伴う疼痛といつても必ずしも定型的なものに限られるわけではなく、患者の個体差等の要因により多様であり得ることを考慮すると、美智代が継続して腹部の疼痛を訴えていなかつたとしても上記の判断を妨げるものではないというべきである。

しかして、〈証拠〉によれば、子宮外妊娠中絶(破裂)が起つた場合にこれを放置しておくと、患者(母体)が失血症により死亡することも稀れでなく、これを防止するには早期に開腹手術等によつて止血することが必要なことが認められ、かかる危険を伴う子宮外妊娠中絶が疑われる以上、産婦人科を専門とする医師としては、患者ないしはその付添人から発病に至るまでの事情をできるだけ仔細に聴取して問診、視診、触診等を行い、更に、疑わしいときにはダグラス氏窩穿刺なども行つて病因の究明に努め、まず、当該患者が対症的処置を施して様子をみてよい患者かあるいは開腹手術等の緊急処置を要する患者であるかを鑑別するよう努力するのがその責務であるというべきである。

しかるに、被告は、美智代の前示症状を単に車酔いか食中毒によるものであろうかと判断して前示の如き措置を講じているのであるが、当時、前示症状から考えられる疾病のうち、特に、車酔いないしは食中毒が強く疑われる事情にあつたとは認められず、むしろ、前示一の(二)に認定した事実からすれば車酔いというのは不自然であるし、食中毒についても、原告秀治の供述によれば、美智代が被告医院に引返し嘔吐した後ではあるが、被告から食中毒でないかといわれたので夫婦で同じ食事をしたのにおかしいではないかと訴えたというのであつて、かかる事情は、美智代ないし原告秀治に問いただすことによつて、より早期に容易に知り得た筈であり、少くとも、特に車酔いないしは食中毒を強く疑わせるような事情は存しなかつたというべきである(被告本人の供述によれば、原告秀治から同人夫婦の当日の朝食時刻および食事内容を聴取したというのであるが、その結果、食中毒が疑われる事情があつたかどうかは詳らかでない)。

そして、他方、上記の如く一応疑われる子宮外妊娠中絶の可能性を打消すだけの資料が存したとも認められないことを考慮すると、他に的確な資料のない本件においては、結局、被告本人の供述するように、被告は美智代が引き返してきた当初その症状を軽く考えていたために前示の如き処置をとつたものであると認めるほかはなく、そうである以上、被告は前示の如く認知せられた症状からその原因となる疾病を慎重に判断し、鑑別する努力を怠つていた結果、上記の如き処置をとつたものといわざるを得ず、かかる意味において、被告の診療は債務の本旨に充分そぐわない不完全なものであつたというべきである。被告がとつた前示処置がその当時の状況からみて医師として最善の努力をした結果の適切、妥当なものであつたとは認め難い。

なお、もし被告が美智代に前示の如き下腹痛のあつたことを覚知していなかつたとすれば、そのこと自体、医師として当面の病的現象を正しく把握する努力を怠つた結果であり、その意味において被告の診療行為は債務の本旨に充分従つたものではないというべきである。何故なら、前記一の(一)、(二)で認定した事実に照らすと、美智代が一旦被告医院を辞してから後に生じた症状については、まず、美智代ないし同女に付添つていた原告からその状況を充分聴取するのが、当面の症的現象を正しく把握するために必要不可欠の手段であり、そうすることによつて容易に上記腹痛を覚知し得たと考えられるからである。

しかし、以上の如く、美智代の疾病を慎重に判断、鑑別すべき努力を怠つていた被告は、同女に付添つていた原告秀告からの同女の症状についての再三の質問、訴え等に対しても、特別に注意を払つて、診察し直すことをせず、美智代の脈搏が弱くなり急性貧血症状に至るまで子宮外妊娠中絶であることの疑いを持たず、前示の如き処置とつただけで午前一〇時過ぎ頃より午後零時過ぎ頃までの約二時間にわたつて同女をベッドに横臥させていたものというべく被告の右診療内容は債務の本旨に従はない不完全な履行というべききである。

(二)  被告の前記診療行為と美智代の死亡との間に因果関係が存するかどうかにつき考察する。

被告において、美智代が引き返してきて嘔吐、冷汗等の症状を示した時点で子宮外妊娠の中絶を疑い得た筈でありかかる疑のあることを考慮して、更に、慎重に判断、鑑別を行うべく努力すべきであつたことは前示のとおりである。

しかして、前記一の(二)や二および四の(一)において認定した事実に照らすと、被告が右時点において前示債務の本旨に従つて美智代ないしこれに付添つていた原告秀治から前示下腹痛が発生するまでの状況、同女の右時点までの行動等を仔細に聴取しておれば、むしろ、車酔いないしは食中毒の疑いは薄いとの判断も成り立ち得たはずであり、こうした判断が成り立てば、反面、子宮外妊娠中絶の疑いが強くなつたであろうと推認される(被告本人の供述によれば、被告は悪阻と車酔いによる嘔吐ないし食中毒による嘔吐を疑つていたにすぎず、右以外には子外妊娠中絶と区別されるべき疾病を疑つていた様子はなく、また、本件全証拠を検討しても、右時点では前記認定の臨床的症状のほかは特に診断を困難ならしめるような格別の症状は認められず、上記のほか、更に、子宮外妊娠中絶以外の疾病を疑うべき事情があつたとは認められない)。

しかるところ、被告本人の供述によると、被告としても子宮外妊娠中絶の疑いがあればダグラス氏窩穿刺による診断も行つたし、その準備のために若干の時間を要するが被告の医院でも直ぐにできるというのであり(〈証拠〉によると、右検査を行うために要する時間は特別の障害がない限り一五分ないし二〇分位と認められる)、かつ、右本人の供述や弁論の全趣旨に照らすと、右当時、被告医院へ来ていた外来患者はまばらで美智代以外に特に緊急の処置を要する患者はいなかつたものと認められ、更に、成立につき争いのない甲第三号証と前記一の(二)や二および四の(一)に認定した事実に照らすと、美智代が前示の激しい下腹痛を覚えたころから子宮外妊娠中絶とこれに伴う出血が始り右出血は同女が死亡するまで継続していたものと推認されるところ、〈証拠〉によれば、同日の午後一時過ぎに市立池田病院においておこなわれたダグラス氏窩穿刺による検査の結果、ダグラス氏窩内への出血が確認されていることが明らかであり、以上の如き事実を総合考慮すると、もし、被告において前示債務の本旨に従つて努力を怠らす、子宮外妊娠の疑いを持つていたならば、被告としても美智代が引き返してきた数十分後すなわち同日午前一一時過ぎごろまでには、ダグラス氏窩穿刺による検査を行つていたであろうし、また行い得たはずであり、その結果がプラスになつた可能性は少くなかつたものと推認され、少くとも、同女が手術に耐え得ない程の貧血症状に至る以前の右一一時過ぎまでには子宮外妊娠中絶の疑いが強いことを判断し得たはずである。

しかして、前掲久保証人および被告本人の各供述によると、子宮外妊娠中絶で出血した場合は開腹手術により出血を止めなければならないが出血間もない時点でこれを行えば母体の生命を維持することができる可能性が高いものと認められ、かつ、被告本人の供述によると、被告自身が行つた子宮外妊娠の手術は何百例もあり卵管破裂等の緊急の手術の場合でも母体の生命を助けた方がずつと多いというのであつて、かかる事実に照らすと手術の時期を失しさえしなければ、被告自身が手術を行うかあるいは他のより設備、人員の整つた病院で手術をうけさせることにより、美智代の生命を維持できる可能性は充分に存したものというべきである。

ところで、〈証拠〉によると、子宮外妊娠中絶(卵管破裂)の場合、出血を止めるためには開腹手術を行わなければならないが、血圧測定不能の状態では開腹することによつて更に血圧が下り、むしろ母体の生命を失う危険が大きいというのであり、かつ、美智代は前記市立池田病院へ収容後、ダグラス氏窩穿刺検査の結果子宮外妊娠中絶の疑と診断され、開腹手術を行うため輸液により血圧を上昇させるよう試みられたが、開腹手術に耐え得る状態にまで血圧が回復せず、結局、右手術にとりかかれないまま死亡したものと認められるところ、同女の血圧が被告医院にいるときにすでに測定不能の状態になつていたことは前示のとおりであるから、右池田病院へ収容されたときは、一応、すでに右手術の時期を失していたものと推認するほかはない。

しかるところ、同女の子宮外妊娠中絶を強く疑い得たであろう前示午前一一時過ぎからその後同女が貧血症を呈し血圧測定不能の状態に陥入つた午後零時過ぎまでの間にはおよそ一時間余の時間的余裕があつたと認められることは前示のとおりであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、被告において前示債務の本旨に従つた努力をしておれば、手術の時期を失せずにこれを行い同女の生命を維持し得た可能性は多分に存したものと推認するのが相当である。

しかるに被告は美智代の子宮外妊娠中絶を看過し、そのための検査、治療措置を一切行わず、緊急を要する重大な疾患であるにもかかわらず、単に食中毒であると診断してその治療のみをとり続け時間を費したことは既に認定したとおりであるから、被告は美智代の子宮外妊娠中絶の発見を怠りその手術可能な時期を失したものというべく、以上の如き事実関係の下では被告の前示不完全履行と美智代の死亡との間には法律上の相当因果関係があると認めるのが相当である。

五被告の免責事由について

そこで、進んで、被告の免責事由の存否について検討するに、被告が前示不完全履行に基づく責任を免れるためには、右不完全履行が被告の故意、過失たは信義則上これと同視すべき事由に基づくものではないことが立証されなければならない。

しかるところ、被告が前記一の(一)(二)において認定したような処置しかとらなかつたのは、結局は、被告本人のいうように、被告において美智代が引き返してきた当初の症状を車酔いか食中毒によるものとみて楽観していたためであると認むべきことは既に認定したとおりであるが、本件全証拠を検討しても、一般開業の産婦人科医であれば、美智代の嘔吐、冷汗等の症状をみた時点で、被告の行つたように車酔いないしは食中毒によるものと診て楽観するのが当然でありあるいはそうしたとしてもやむを得なかつたと認むべき事由は認定し得ない。

むしろ、上記一ないし四において認定および説示してきたところに照らすと、被告が一般開業の産婦人科医として有すべき知識、抜能を充分に活用して美智代の診察にあたつておれば、遅くとも同女が嘔吐、冷汗等の症状を示した時点で子宮外妊娠中絶が疑われ、必ずしも楽観し得ず、更に慎重な診断と対応処置が必要なことに気付いたであろうと推認され、被告が右の如き一般開業医として有すべき知識、技能を有していたことは、被告自身、同人がこれまで取扱つてきた子宮外妊娠の患者は数えきれない程で、手術したのも何百例もあるが、成功率の方が高い旨供述しているところから、他に特段の立証もない本件では一応、これを肯認すべきであり、そうである以上、被告が上記の如く楽観していたのは、充分注意して美智代の診察にあたつていなかつたためというほかはなく、被告の免責事由は認め得ない。

六損害

(一)  美智代の逸失利益

1  美智代が死亡当時二三才の主婦であつたことは当事者間に争いがない。〈証拠〉によれば、美智代は日常健康であり、結婚後は主婦として家事労働に従事していたことが認められる。したがつて、同女は本件医療事故により死亡しなければなお少なくとも五一、九六年間生存可能(第一二回生命表)であり、右余命年数の範囲内で四〇年間は稼働可能であつたと推認できる。

2  美智代は右のとおり専業主婦であつたから、現実に金銭的収入を得ていたわけではない。しかし現に職業を持たない者であつても、一般的には平均賃金を得る程度の労働能力を有しているものと推測でき、逸失利益とはほかならぬその労働能力を喪失したこと自体に対する損害であると思料される。そこで、右の損害額算定に当つては通常の女子労働者の平均賃金を基礎としてその収入額を推定するのが最も合理的である。

3  ところで、その成立、存在および内容が当裁判所に職務上顕著な労働統計調査部による昭和四一年の賃金構造基本統計調査によれば同年における年令別全産業女子労働者の一人当りの平均月収は金二万四五〇〇円であることが認められ、その生活費としては右収入額の二分の一を費消するものと推定し、右収入額より控除すると同女の年間純益は月額金一万二二五〇円(年間金一四万七〇〇〇円)となる。そこでホフマン式計算法により年毎に年五分の割合による中間利息を控除して現価を算定すると金三一八万一五二一円となることが明らかである。(その算式は喪失年収14万7000円×40年のホフマン係数21.643)

したがつて、美智代は死亡により被告に対し、金三一八万一五二一円の損害賠償請求権を取得したと認められる。

(二)  美智代の損害諾償請求権の相続

原告秀治が美智代の配偶者であり、岩田コスエが同女の母であり、右両名が同女の相続人であることは当事者間に争いがない。したがつて、右両名は、美智代の前記損害賠債請求権をその法定相続分(各自二分の一)に従つて相続により承継取得したというべく、その金額はそれぞれ金一五九万〇七六〇円である。

(三)  葬儀費用

〈証拠〉によれば、原告秀治ならびに岩田コスエは美智代の葬儀費として金二五万五一〇〇円を支出したものと認められ、右は美智代の社会的地位、年令その他諸般の事情を総合すると葬儀費として相当である。

(四)  原告秀治らの慰謝料

美智代と原告秀治、岩田コスエとの間の身分関係は前記のとおりであり、〈証拠〉によれば原告秀治は昭和四二年五月一〇日に美智代と結婚し、同年一二月に同女が妊娠したため長子の出生を楽しみにしており、前示死亡当日は二人そろつて家を出て数時間後には同女は帰らぬ人となつたもので、岩田コスエは先きに長女英子を失い、続いて美智代をも本件の如き不慮の事故で失つたもので、右両名の精神的苦痛は多大なものであろうことは推測に難くない。そこでこれを慰謝するに足る金額は右両名につき各金一〇〇万円をもつて相当と認める。

(五)  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、被告が原告秀治ならびに岩田コスエの請求に応じないため右両名らは本件訴訟代理人に委任して本訴を提起しこれを遂行せざるを得なかつたことが認められ、右事実に、本件訴訟の難易、前記認容額等一切の事情を考慮すれば、原告秀治、岩田コスエが支出する弁護士費用は本件事故による損害として、被告に賠償させるのが相当であり、その額はそれぞれ金二五万円をもつて相当と認める。

(六)  岩田コスエの損害賠償請求権の相続

岩田コスエは被告に対し、前記(二)ないし(五)の合計金二九六万八三一〇円の損害賠償権を有していたところ、弁論の全趣旨によれば、同女は昭和四五年一一月二四日死亡したことが認められ、原告田畑孝が同女の子として相続人であり、同城野剛年が同女の子城野英子を代襲相続したことは当事者間に争いがない。したがつて、右両名は岩田コスエの右請求権をその法定相続分(各自二分の一)に従つて相続により承継取得したというべく、その金額は各自金一四八万四一五五円である。

七結語

以上のとおり、被告は原告秀治に対し、前項(二)ないし(五)の損害合計金二九六万八三一〇円、同田畑孝、同城野剛年に対し、各金一四八万四一五五円および右各金員に対する被告の債務不履行の翌日である昭和四三年三月一二日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべきである。したがつて、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当であるから棄却し訴訟費用の負担につき、民事訴訟法九二条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(首藤武兵 上野茂 田中由子)

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